立花隆の教育基本法改正への疑念

立花隆氏が朝日新聞11月6日夕刊「私の教育再生①」で政府の教育基本法の改正の意図について語っています。
(前略)
 政府改正案を見ても、なぜそれほど拙速にことを運ぼうとするのか、理由が見当たらない。
 考えられる理由はただひとつ、前文の書き換えだろう。
 教育基本法の前文は、「基本法憲法の一体性を明示している。まず新しい民主的で文化的な平和憲法ができたことを宣言し、「この理想の実現は、根本において教育の力にまつ」として、新憲法に盛り込まれた新しい社会を実現していくことがこれからの教育の目的だとしている。
 憲法改正を真正面の政治目標に掲げる安倍内閣としては、憲法と一体をなしてそれを支えている教育基本法の存在が邪魔で仕方がないのだろう。憲法改正を実現するために、「将を射んとすればまず馬を射よ」の教えどおり、まず憲法の馬(教育基本法)を射ようとしているのだろう。
 教育基本法はなぜできたのか。制定時の文部大臣で後の最高裁判官の田中耕太郎氏は「教育基本法の理論」でこう述べている。先の戦争において、日本が「極端な国家主義民族主義」に走り、ファシズム、ナチズムと手を組む全体主義国家になってしまったのは、教育が国家の手段と化していたからだ。
 教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる「教育勅語」が日本の教育を支配してきたからだ。
 教育基本法は、教育を時の政府の国家目的の奴隷から解放した。国家以前から存在し、国家の上位概念たる人類共通の普遍的価値への奉仕者に変えた。
 それは何かといえば、ヒューマニズムである。個人の尊厳であり、基本的人権であり、自由である。現行教育基本法の中心概念である「人格主義」である。
 教育は国家に奉仕すべきでなく、国家が教育に奉仕すべきなのだ。国家主義者安倍首相は、再び教育を国家への奉仕者に変えようとしている。(聞き手・中井大助)