「プレカリアートのマリア」こと雨宮処凛!?
どーも。「プレカリアートのマリア」こと雨宮処凛です(←バカ)。って、昨日(6月18日)の朝日新聞見た? 「ポリティカニッポン」で、私の「生きさせろ!」が「現代のバイブル」とか書いてあるし、その上私のこと「プレカリアートのマリア的存在」とか書いてあるし、ビビりながらもなんかこんなにおだてられて明日死ぬんじゃないかって心配です。とりあえず、今日からアタシのこと、マリアって呼んで?
・・・と、どうしても書いてみたくなったので書いてみました。ちなみに、絶対に「マリア」と呼ばないで下さいね・・・。(昨日散々知り合いに「マリアー」と指さされて笑われた)
という記述を道桁。
その記事は、ここでも新「社会経済実態と消費」さんが取り上げられている「ポリティカにっぽん」 (早野透 朝日新聞 オピニオン 月曜コラム 2007/6/18) です。その最後のあたりを引用。
雨宮処凛さんの最近の著書「生きさせろ!−難民化する若者たち」(太田出版)は、「現代のバイブル」と言っていいほど日本の若者が働く現実を描いて鮮烈である。
彼女は、プレカリアートのマリア的存在である。プレカリアートとは? イタリアの路上の落書きから生まれたというこの言葉、プレカリオ(不安定な)とプロレタリアートを合わせた造語。不安定労働層、つまり非正規雇用のことである。
4月30日、東京・新宿で、フリーターたちが「自由と生存のメーデー」を行進した。「仕事をよこせ」「愛をよこせ」。でっかい音楽、周りを固める警官。「プレカリアートの反攻宣言」*1はこうだ。「働かない、働けないことへの侮蔑と嘲笑と同情におびえる日を終わらせるために」
参院選で問われるべきは、若者の仕事と高齢者の年金、そこに現れる政治の精神である。いわば「自由と生存の選挙」の様相である。
「プレカリアートのマリア」ねえ。
わいも造語しますか?